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インフラとしてすっかり定着してきたインターネット。もうインターネットのない生活に逆戻りできないと思う人も多いのではないでしょうか。なぜ、これほど発展してきたのか。これから先、どう進んでいくのか。日本のインターネットの創成に関わり、その後も常にこの世界をリードしてきた慶應義塾大学・環境情報学部教授・中村修氏のお話を前編・後編2回に分けてお届けします。
(2007年8月 公開)

慶應義塾大学
環境情報学部
教授 中村 修 氏
日本のインターネットはこうして始まった
今ではみんな当然のようにインターネットを使っていますが、日本のインターネットはどんな風に始まったのでしょうか? |
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中村氏 |
始まりをどこにするかは難しい話ですが、私が最初にネットワークに関わったのが、慶応大学の理工学部キャンパスの3つの研究室をイーサネットでつなぐということでした。当時はまだ、組織と組織がつながるというよりは、一つのキャンパスの中のローカルなエリアのネットワーク、すなわちLANだったわけです。それが、キャンパスとキャンパス、慶応と東工大と東大の間を電話回線でつなぐということを経て、WIDEプロジェクト(1)がIPプロトコルを使ってこの3つのキャンパス間をつないだのが1988年のこと。これがまあ、日本のインターネットの始まりといっていいかもしれません。その後、1994年に商用のインターネットサービスが開始され、この時サービスインしたインターネットサービスプロバイダー(ISP)3社と、先行していた学術系ネットワークが相互接続して、今日の発展に至るわけです。 |
インターネットがビジネスを変えた
インターネットの初期の頃と現在を比べて、何か思われるところはありますか? |
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中村氏 |
私が始めた頃は、イーサネットもイエローケーブルといわれた太いケーブルでコンピュータ同士をつないでいたんですが、それが今やツイストペアという電話線のようなケーブルになり、PLC(2)でパワーライン(電力線)を使って通信ができるようになり、無線でもつながるようになりと、ネットワークの技術はどんどん進歩しています。 |
本当になくなってしまう?IPv4アドレス
IPv6もそうした流れの中にあるんでしょうか? |
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中村氏 |
米国の企業などは数年前まで、「エンドユーザーは欲していない。だからIPv6はまだやらなくていいんだ」という言い方をよくしていましたよね。そういう意味では、IPv6は普通のインターネットのつくられ方と少しだけ違っていて、エンドユーザーの中の先の見える人たちが「このままだとまずい」という危機感を持って、開発・設計に入っていくわけです。そしてそれが標準になり、メーカーの一部が製品をつくってきたというような流れだろうと思います。 |
もうIPv6へ移行するしかない
IPv4アドレスがなくなると、どうなるんでしょうか? |
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中村氏 |
もちろん、IPアドレスはなくなりませんよ。IPv4アドレスを新たに取得することができなくなるだけです。たとえば、ビルを建てて本社を移転したとします。新しくネットワークを引かなきゃいけないので、アドレスを申請します。でも、IPv4アドレスがもらえない。つまり、ネットワークがつくれなくなってしまうのです。というわけで、2011年にIPv4のアドレスが割り当てられなくなったら、もうIPv6へ移行するしかないのです。問題は、どのようにしてうまく移行していくかということですね。 |
2007年8月 公開
1 WIDEプロジェクト
慶応大学教授の村井純氏、中村修氏らが1986年に設立した、新しいコンピュータ環境の確立をめざす研究プロジェクト。1988年には日本で初めてIP接続によりインターネットに参加し、国内のインターネット利用の先駈けとして注目された。
2 Power Line Communications
電力線を通信回線として利用する技術。電気コンセントに通信用のアダプタ(PLCモデム)をつないでパソコンなどを接続することにより、数Mbps〜数百Mbpsのデータ通信が可能となる。
3 ネットマスク
インターネットのような巨大なネットワークは、複数の小さなネットワークに分割されて管理される。ネットワーク内の住所にあたるIPアドレスのうち、何ビットをネットワーク識別のためのネットワークアドレスに使用するかを定義する数値のこと。ネットワークアドレス以外の部分が、ネットワーク内の個々のコンピュータを識別するホストアドレスになる。
4 Internet Assigned Number Authority
インターネット上で利用されるアドレス資源(IPアドレス、ドメイン名、プロトコル番号など)の標準化や割り当てを行なう組織。
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